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> 納島 正弘
(最終更新日 : 2024-02-05 16:01:20)
ノウジマ マサヒロ
NOJIMA Masahiro
納島 正弘
所属
広島市立大学 芸術学部 デザイン工芸学科
職種
教授
プロフィール
職歴
教育・研究活動状況
画像登録
研究
現在の専門分野
研究テーマ
社会活動
所属学会
職歴
2020/04/01 ~
広島市立大学 芸術学部 デザイン工芸学科 教授
教育・研究活動状況
戦後、我が国が経済発展する際には日本のモノづくりを担ったプロダクトデザインだけではなくグラフィックデザインも重要な役割を担ってきたことは確かである。1964年の東京オリンピックでは亀倉雄策指揮のもとプロモーションからサインシステムまで、その優れた2次元での表現は敗戦の復興から輝かしい未来を国民に示してくれたに違いない。1970年の大阪万博では経済復興を世界へ知らしめ一等国となった日本において、グラフィックデザインは社会を華やかに彩り、デザイナーたちの優れた表現は世界レベルにまで成長した。経済大国にのし上がった日本は、大量生産大量消費こそがこの国の豊かさを示すものだと疑わなかったし、デザインもその主義に加担していたと言える。その後バブルが崩壊し、我々は本当の豊かさとは、モノが溢れかえる事ではないことに気づかされる、さらに2011年3月11日の東日本大震災を経験することとなった。復興への切実な願いは全国を巻き込み、戦後以来の東京集権的な考えから、自分の故郷や地域を想い、生かされているこの場所を豊かにしたいという人たちを増やした。 かたやデザインの業界でもバブルの崩壊、リーマンショックと続く不況の影響は広告費削減を招き大きな影響を及ぼした。より大きなプロジェクト、よりメージャーな企業の仕事こそがデザイナーの価値と信じていたデザイナーたちも一部で、自分が生かされているこの地の役に立ちたいという思いに変わったように思える。 デザインは経済と深く結びついているが、従来日本のグラフィックデザインは二次、三次産業での舞台がほとんどであった。食料自給率を生む一次産業においては、後継者の不足や自然環境、労働条件等で一次産業は人気の無い業界とされていた。デザインの業界も二次、三次産業に注力し一次をおざなりにして来た。しかし、一次が弱くては、二次、三次はいずれぐらつく、それが今の日本だ。我々は一次産業をうまく可視化し情報としての魅力作りを怠ってきたあるように思える。その理由は一次産業が組合制度にその営みのほとんどを依存してきた歴史もあるからかも知れない。 私は、以前から自然と対峙する一次産業の実態を少しでも理解、体験し一次産業においてデザインでの課題を見出し、実践できるような研究に取り組んでいきたいと考えている。 平成26年に起きた土石流で広島市安佐北区の稲作にも大きな被害を出した。右の写真は、収穫前に倒れてしまった稲の穂で、通常の流通には乗せられないため、その稲穂を集めて復旧の役に立つべく起こしたプロジェクトである。稲は倒れて困難な状況でも「決して精神だけはたおれまい(倒れ米)」というネーミングにした。2合袋だけにしパッケージの印刷はせずスタンプを作ってコストをおさえた。そして、食のフリーマーケットで販売し、稲田の復旧工事の一部に当てた。 こうした、デザインが企業利益の手法としてのみではなく、ソーシャルデザインの領域ではまだまだ人材を必要としている、しかしそれは雇用されて指示を受けるデザイナーではなく、自らが課題を見出し解決法としての仕事を作れる人材と言えるだろう。
画像登録
「たおれまい」パッケージ
現在の専門分野
グラフィックデザイン全般 キーワード(社会に役立つグラフィックデザイン)
研究テーマ
2020/04/01
アグリデザイン(一次産業とデザイン)
所属学会
2002/05/01
(公社)日本グラフィクデザイナー協会